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各種飲料の歴史・定義・いろいろ  

   







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 炭酸飲料

 歴史 エピソード

ローマ時代 
「天然に涌き出る鉱泉や温泉を飲用されたのが始まり。」 健康のために飲まれていた。

 今でいう炭酸水とは、異なり若干の炭酸が含まれていたもの。
   ミネラルウォーターに分類される「ペリエ」などが、炭酸入ミネラルウォーター

   
鉱泉は普通の水と異なり体のために役立つ事を知り、病人に飲まれていた。
      ミネラルを多く含んだ水で、今でも健康のために飲まれている

クレオパトラは 
「美容と不老長寿の秘薬として、真珠をぶどう酒の中に入れて溶かし、それを飲んでいたと言う??」
   真珠の主成分は、炭酸カルシウムで酸に溶け出すと炭酸ガスが発生する。

  
日本初の清涼飲料水は、炭酸飲料

 
1853年ペリー提督が浦賀へ、レモネードを持ち込んだのが最初と言われている。

     栓を開けるときポンという音がしたので、幕府の役人は、新しい武器と思いビックリした・・・!

  
その後「レモネード」という言葉がなまって「ラムネ」という名前が生まれた。
    今のようなビー玉が入ったラムネは、1900年頃販売が企業化された。

  炭酸飲料は、飲料の中でも早くから親しまれてきたジュース。
      以前(昭和30年代)は、ジュースと言えば「サイダー」か「ラムネ」または、粉末ジュースだった。
     カルピスもあったが贅沢品だったような気がする。一度でいいから濃いカルピスを飲んでみたかった・・!
 





 炭酸飲料の歴史

 











































1853年嘉永6年 ペリー提督が幕府の役人に飲ませたのが、国内炭酸飲料の始まり
1860年蔓延元年 英国船によって長崎へラムネが持ち込まれる
1886年  アメリカで「コカコーラ」が発明される
1905年明治38年 アサヒ 「三ツ矢サイダー」 発売
1909年明治42年 サッポロ 「リボンシトロン」 発売
1928年昭和3年 キリン 「キリンレモン」 発売
1957年昭和32年 「コカコーラ」  「ペプシコーラ」  発売
1965年昭和40年 缶コカコーラ 発売
1967年昭和42年 缶ペプシ 発売
1994年平成6年 サントリー 「CCレモン」 発売

  * 炭酸飲料は、歴史ある商品。しかし炭酸飲料離れのせいと多品種の飲料が発売された事もあり、
       CCレモン以来、なかなかヒット商品が生まれていない。

   
 炭酸飲料自体が毎年、前年を割っている。コカコーラも例外ではない。
     
 日本の飲料業界黎明期は、ビール会社のジュース(炭酸飲料)から始まった。そしてコカコーラの登場

   コーラ飲料が輸入されたのは、かなり早かったらしい?

            高村光太郎の「道程」の中でコカコオラと書かれ、

            芥川龍之介が友人に宛てた手紙の中にコカコラと書かれている。

 コカコーラは、戦後になって進駐軍と共に軍納品として入ってきた。
  しかし外貨割当などがあったため、外国人向けに限られ、一般へは、昭和36年以降よりの普及となる。

日本における、コカコーラビジネスの誕生

大戦を経て戦後、進駐軍とともに「コカコーラ」が日本上陸
。コカコーラに心底惚れた男がいた。
     
『日本におけるコカコーラビジネスの父』 高梨仁三郎氏である。
        キッコーマン醤油の創始者である高梨家の出身。

まだまだ貧しかった日本。コカコーラの原液をアメリカから輸入するための外貨割当が日本政府から受けられなかった。
同時に日本の飲料メーカーからの反対もあり(政府に要請?)なかなかスタートがきれなかった。

  「外貨事情の悪い折から、緊急度の低いものの輸入は、見合わせるべきであろう」
  「国内の清涼飲料水業者に対する関係もあって、処置に困っている状況」
  「飲み始めたらやめられなくなるから、国内に蔓延し、国民がコカコーラで参ってしまう事を恐れる。」

自由な輸入が許可されたのは、昭和31年。
 昔も今もまったく同じ?アメリカ政府からの外圧によるものだったらしい。
日本で販売されてからの勢いは、戦後の復興 東京オリンピック 万国博などの追い風もありその勢いは止まらない。
従来とは違う販売方法を昭和50年前頃より始める、

 問屋を通さない「直接のルート販売」で隅々まで効率よく販売した。

自動販売機が街中に広がっていく。、
コカコーラは大変な苦労を重ねながら、今の飲料業界のトップに君臨した。
 他の飲料メーカーが束になってもかなわないほどに・・・。

自販機台数 約100台 販売先 約100万件

コカコーラ製品は、約200カ国もの国々で1日におよそ10億杯(1杯=237ml換算)以上飲まれている。

コカコーラの誕生 


 1886年(明治19年)アメリカのジョージア州で
   スリの製造・卸売り業をしていたジョン・ベートン博士が独自に飲物の研究を行っていた時の事、
   出来あがったシロップを飲んでみると、とても美味しかった。
 このとき「コレをコカコーラと名づけよう」と提案したのが友人のフランク・ロビンソンでした。

偶然出来たシロップに、幸運のミステイクが・・
  最初、売り場で注文の都度、水で割って出していました。
   しかし、間違えて炭酸水で割って出したところ、コレが大好評 ♪
   以来、どの店でも「コカコーラは、爽やかに炭酸割りで・・」が、決まりになったとか・・!



   独特のカタチをした、コカコーラの瓶
    「コンツアーボトル」といい、
          暗闇でさわってもすぐに「コカコーラ」とわかる形として採用された







炭酸飲料の定義

 「飲料適の水に、炭酸ガスを庄入したもの及びこれに甘味料・酸味料、フレーバリンク等を加えたもの

  コーラ飲料と言えばコカコーラ、次にペプシコーラを思い浮かべる人が多いと思います。
   最近では、サントリーがペプシと業務提携を行ったため、かなり追い上げてきていますが、コーラの牙城はくずせません。
   
日本でのこの差は、東京オリンピックでコカコーラが協賛したのが大きいようです。
                           





コーヒー飲料


  
缶コーヒーの表示

   
缶コーヒーは内容量100g中の生豆の使用量で区別されている。

      缶コーヒーには、必ず表示されている





















        種類分類     100g中の生豆の使用量 
 コーヒー        5g 以上
 コーヒー飲料     2.5g 以上 5g 未満
 コーヒー入り清涼飲料     1g 以上 2.5g 未満
 
      *乳飲料       乳固形分が3%以上   











     100g中の砂糖の量    
 微糖 低糖   2.5g 以下 
 無糖    0.5g 以下 





缶コーヒーの歴 史

 缶コーヒーは、1969年に売り出された
    UCC上島珈琲の「UCC缶コーヒーオリジナル」が広く売り出された物では初めてとされる。


   赤・白・茶という、色づかいのため「三色缶」という愛称がついた。
     ただし、正確に言うと乳飲料で、缶コーヒーとは、違う?(缶コーヒーの分類では、乳飲料)

  缶コーヒーの定義でいえば、1972年に発売されたポッカコーヒーが広く売り出された物としては最初。
     「顔のコーヒー」という愛称がついた。 今販売中の缶は、9パッケージ目

缶コーヒーの始まり

 ・
上島忠雄UCCコーヒー社長が、列車の停車時間に売店でビン入のコーヒーを飲んでいた時、
   発車時間となりコーヒーを飲み残してしまった。しかし、物を粗末にしない気質の社長は、その事が頭に残り、
   
「いつでも・どこでも、手軽に飲めて、常温流通できる商品は」と思い、缶コーヒーの発想がひらめいた。
   しかし、製品化までには、ミルクの分離・殺菌方法などさまざまな問題点があり、大変な苦労があった。
   また、技術的な問題をクリアした後、販売の営業も苦労したが、
   昭和47年の日本万国博覧会で爆発的に売れ、苦労が報われた。当時の価格は、一本80円。

 ホットの自販機を最初に開発したのは
、「缶コーヒーをホットで売りたい」と思った谷田ポッカ社長の発想によるもの。
   
「いつでも・どこでも、手軽に飲めて、常温流通でき、夏は冷たく、冬は温かく飲めるように・・。」

 UCC・ポッカが、現在の缶飲料自販機(HOT&COLD)のルーツと言うべき存在。
 両製品共、現在に至るまで約30年間ほぼ同じデザインで親しまれている。
 
缶コーヒーは年間100億本以上飲まれ、70%以上が自動販売機で買われている


 昭和40年代後半に、コーヒーメーカー御三家(UCC・ポッカ・ダイドー)が缶コーヒーを発売し、
   ほぼ同じデザインで現在まで親しまれている。
 その後、自販機の発展により各メーカーもコーヒーを発売していく。
 
当初のコーヒーは、ブランド名がなく、メーカー名をコーヒーのアタマにつけていた。ポッカコーヒー、三ツ矢コーヒー、など。
 昭和60年代に入って、第一次コーヒー戦争が始まる。各メーカーともにブランド名を確立。
 平成に入ると、第2次コーヒー戦争。コーラ、ビールメーカー、コーヒーメーカーがバトルを繰り広げている。
  資金力にまさる、コーラ、ビールメーカーに、コーヒーメーカーは苦戦している
  最近では、UCCの自販機は、ネスレ日本に譲渡された。
  ポッカコーヒーもネスレ日本と一部、業務提携を結び、ネスレ日本の自販機でも売られている

      
サントリー   WEST   ⇒ BOSS 
      キリン      JIVE    ⇒ FIRE
      アサヒ      NOVA   ⇒  JO  ⇒ WANDA
      コーラ      GEORGIA


* 昭和50年頃の缶コーヒーは、250缶が主流だったが現在では、
    缶コーヒー3億5400万ケース(106億2千万本)の内、約80%が190缶となっている


  ジョージアコーヒーは、全ての飲料売上本数で一番売れている(2000年度推定)

  缶飲料の場合、シェアは自販機の展開台数に比例する
   また、コンビニでの取り扱いによっても大きく左右される
  
  缶コーヒーの場合、指名買い・ヘビーユーザーが多い

   
発売後のポッカ・UCCコーヒーの人気は、すごかった?
       今のようにジョージアやビールメーカーのコーヒーがほとんどない時代で、
       缶コーヒーと言えば両者のコーヒーを指していた。
       注文時も「短いコーヒー」「長いコーヒー」と、コレだけですんでいました。
      昭和50年頃の缶コーヒーは、250缶が主流だったが、だんだんと190缶へと変わっていく
       今では、大半が190g缶となっている。
      甘さ離れにより、使用する砂糖の量も年々少なくなってきている

 
 
 今のコーヒーブランドを確固たる物にしたのは、
      
ジョージアが起用した飯島直子 ボスが起用した矢沢永吉だと思う。
    共にコート・ジャンバーを景品として
       コカコーラ 「がんばってコートプレゼント」  4403万通の応募
       サントリー 「ボスジャン94」            920万通の応募

  その後も同様のキャンペーンを展開している。特にサントリーは、ボスデン・ボステレビなど話題を提供している。
   * 当初のキャンペーン応募用のはがきは、切手が不要だったのもその一因だと思う。
       その後のキャンペーンには、切手が必要となる。
      聞くところによると、無地のままの葉書も結構多かったとか・・?
      メーカーの切手負担代も大変  1枚50円として、1000万通で5億円の負担

  
缶コーヒーの売上 人気が コンビニでの陣取り・自販機の設置台数が決まる商品
  同時に缶コーヒーは、一番の利益商材になるため各メーカーとも必死!
   * 缶コーヒーの大半は190缶(30本入)なので物流コスト・倉敷料が安くすむ 





  お茶 類   

    お茶・ウーロン茶・紅茶は基本的には、同じ 『 お茶の木 』です
    
その違いは製造過程での、茶葉を発酵させる度合いの差から生じます。















  発酵の度合い
  緑 茶 不発酵茶全般を指す
  ウーロン茶  半発酵茶
  紅 茶 完全発酵茶












   違いと特徴
 中国緑茶 茶葉を釜で炒って、発酵を止める
  香りがよく、さっぱりしている
 中国で1番飲まれているのは、ウーロン茶ではなく緑茶です
 日本の緑茶  茶葉を蒸して、発酵を止める
  旨味や渋みを持つ


もともと、お茶に含まれる「カテキン」などは、殺菌・脱臭作用等があり
 ミネラルウォーターと同じように 元祖 機能性飲料なのかもしれない
アサヒの「十六茶」も自然の野草を使用している。


緑茶に含まれる健康成分
   昔のヒトの生活の知恵? きっと美味しさ以上に効果を実感していたのかも・・!
   機能性飲料の原点のような飲物









    カテキン        お茶の渋み成分 
  血圧上昇・血糖上昇 抑制作用
  血中コレストロール低下作用
  抗菌作用
  虫歯予防
  口臭作用(脱臭作用)
  突然変異抑制作用
  抗インフルエンザ作用
  抗腫瘍作用
    カフェイン   覚醒作用 (疲労感や眠気の除去)  

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